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7月号「所感」

    今月の所感は、本院参与の澤孝子師匠との思い出、想いのご紹介となります。  *2022年7月号 所感 ********************    突然の別れがやってきた。   我が日本書鏡院に約五十数年近く寄り添い、 新年会・祝賀会では必ずといっていいほど華を添えてくれた日本浪曲協会 元会長・本院参与の澤孝子師匠が旅立った。   先師長谷川耕南が長野県上山田温泉に旅をした時に澤孝子氏との出いからお付き合いがはじまった。  祖父、 父、 小生と三代に亘り日本書鏡院にとって、 なくてはならない存在だった。 祖父が澤氏に惚れ込み日本一の浪曲師になると言い続けていたそうだ。 浪曲一筋約70年、 第一線で突っ走り浪曲と言えば澤孝子と名実共に言われるようになった。  祖父が注いだ愛情を恩義に感じ当院とは切っても切れない関係が築かれていた。 小生を育てる為にいつも叱咤激励をしてくれた。 小生が会社員を辞したタイミングを見計らい新しい書道教室も開いてくれた。  題字を揮毫したNHKの時代劇・「鳴門秘帖」 のプロデューサーを紹介してくれたのも澤孝子氏だった。 多くの浪曲界、 講談界、 芸能人も紹介してくれた。 今の自分があるのも澤孝子氏が居てくれたからといっても過言ではない。  近年、 生まれ故郷である千葉県銚子市の観光大使としても活躍され忙しい日々が続いていた。  銀座の鳩居堂の選抜展へも、 いつものように足を運んでくれた。 昨年の秋の展覧会でお会いした時よりも足の具合が芳しくないなあ、 口にはだせなかったが少し太られたなあ、 と気がかりであった。  澤氏が倒れる2日前、 連日電話で元気な声が聴けた。 秋に愛弟子である澤勇人氏を自分の師匠である広沢菊春に襲名することを決めて段取りを組んでいた。 私が生きている間に襲名披露が出来ると満足気に話されていたのが印象的だった。 その声にはいつもと何ら変わりないはっきりとした軽快な口調だった。 秋の襲名披露には澤孝子師の意思をつぎ、 残された者で成功させなければならないと強く感じた。 折しもその襲名披露公演は小生の個展の初日と同じ10月15日なのだ。  因縁深く生涯忘れられない日となるだろう。 澤氏の愛弟子である恵子氏、 雪絵氏も遺志を継ぎ、 今後も書道を頑張ってくれるであろうと願っている。 今度は小生が澤氏の弟子達を可愛が