4月号「所感」
今月の所感は、児童生徒への教え、生徒さんからの言葉から感じた「書」、耕生先生の近況のご紹介となります。 *2022年4月号 所感 ******************** 「先生、 今年の三月で書道を始めて十年が経ちました。 親には自分で選んだ習い事だから十年は続けなさいと言われていたのでここまで続けてこられました。 ありがとうございました。」 「先生、 学校の書道の授業で僕の失敗した作品をクラスの子達がこぞって持って行ってそれをお手本にして書いていたのが、 実はとても嬉しくて優越感に浸れたことが僕にとって良い思い出になりました。」 「先生、 友人達の教科ごとの授業ノートの名前をいつも頼まれて書いていました。 実はそれがとても嬉しかったです。」 これは小生の高校三年生の生徒達が卒業を控え、 話をしていた時に言ってくれた言葉だ。 習い事の一環で始めたであろう生徒達からそれぞれが書を通して思うことを話してくれたことが純粋に嬉しかった。 「字」 から 「自ら」 を体現し、 筆文字から自分の思いや、 継続する大切さを学ぶことが出来たのであろう。 それを18歳という年齢で自然に身に付けられたことは、 小生を通して、 祖父の思いである 『「字」 は 「自」 だ。』 を思い伝えることができたのではないか。 とふと祖父の遺影を見ながら生徒達と歓談した。 数年前から始めた高校三年生学生部表彰。 今年は22名の生徒が対象となる。 中でも小学生低学年より書道を始め、 展覧会を休むことなく出品し立派に高三まで続けられた生徒が今年は特に目がいった。 児童生徒を指導していると、 そばで共感してくれる存在がいるだけで、 生徒の夢がふくらみ自信をもって取り組むことができるのではないかと感じることが多くなった。 「書は反省の芸術である」 という言葉を残した祖父。 祖父の言葉から小生が思う事。 失敗を恐れることなく、 集中して自分と向き合うことができ、 何枚も紙に書くという作業は、 日常から解放された 「精神の癒し」 と捉えてもいいのではないだろうかと考える。 〈耕生介護日記〉 二月は時差がほとんどなかった北京オリンピック中継を楽しく見ることが出来たのではないか。 自宅にいる父も毎日リモコンを片手に連日オリンピックを見ていた。 リハビリを頑張っているせ